特    集

 第2回 横浜商品取引所を偲ぶ

    第2回目の今回は、今年の4月1日に東京穀物商品取引所と合併し、100年以上の歴史に幕を閉じた「横浜商品取引所」を取り上げたいと思います。
    横浜商品取引所は、みなとみらい線「日本大通り駅」から徒歩3分ほどのシルクセンター内にありました。ビルの一角にある小さな取引所でしたが、日本経済の発展において果たした役割は非常に大きなものでした。 シルクセンター

    日本の近代を語る上で、「生糸」は欠かせないものであります。幕末の開港とともに日本の生糸貿易の歴史は始まり、それ以降、戦前における我が国の最大の輸出品は生糸でした。
    明治27年3月、農商務大臣によって横浜商品取引所の前身である「横浜蚕糸外四品取引所」の設立免許が下り、7月には取引が開始されました。当初の取引対象商品は、蚕糸、製茶、綿布、織物そして海産物でした。このときから日本の生糸取引が始まったのです。

横浜商品取引所     その後、明治43年に横浜米穀取引所と合併し、上場品目に株式、米穀、雑穀を加え「横浜取引所」と改称されました。明治末には、横浜、東京、長浜、福島にあった蚕糸を扱う取引所も大正4年までに横浜以外の3ヶ所が生糸の上場を取りやめ、昭和3年に神戸取引所が生糸を上場するまでの8年間、横浜取引所が我が国唯一の生糸取引所として重要な役割を担いました。
    戦後、昭和26年には、横浜生絲取引所として継承され、前橋乾繭取引所と合併した後、「横浜商品取引所」となりました。戦前ほどの活気はなくなったものの昭和40年代まで、生糸は日本の外貨獲得のための大事な輸出品であり続け、横浜商品取引所は依然活況を呈していました。市場で取引される生糸が輸入品となってからも、中国、インドなどの生糸取引所が未発達であるために実質的に世界唯一の生糸先物取引所として横浜商品取引所は世界の生糸市場で重要な位置を占め続けました。 しかし、110余年の歴史を誇り、かつて日本の経済発展を下支えした横浜商品取引所も時代の流れには逆らえず、上場品目を増やすなど、存続の道を模索しましたが、今年の3月31日が最後の取引となってしまいました。最後の取引には、多くのテレビ局や新聞社が取材に来ており、また、製糸業関係者等も集まって、取引所との別れを惜しんでいました。このときの取引には、もはや往年の活気はなく、時代の移り変わりを強く感じさせられました。

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